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我が家のパート5

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2011年 01月 13日

うーーーん・・・・・・ネタ:::::がーーー

1月13日  (木)

ネタがナイ。   いつもの手の読書感想文にします。

昨日 前に読んだ司馬遼太郎の「この国のかたち 五」の ≪大名と土地≫からです。

ほろ酔いかげん なので 箇条書きで失礼します。

明治2年の段階で大名(藩主)は262人 同じように藩もそのくらい。

同年6月新政府は版籍(土地と人民)を奉還させ、大名をいっせいに東京への居住を命じる。

この無謀のような施策は旧藩主(殿さま)は大喜びだったそうだ。

理由 その一
殿さまといっても、土地・城は徳川様からのいわば借り物。税金は徴収できるが、税収以上に支出が多く、ほとんどの藩は超赤字体質だった。
 
理由 その二
東京在住を命じられると、旧石高に比例した≪永世禄≫ (今でいう給料)がもらえ、責任も軽くなる。

こんな大事業をわずか数カ月で混乱もおこさず、成し遂げたことは世界の歴史でも奇跡に近い。

今の時代だと、準備月間は10年は必要だろう。 アナログからデジタルへ移行するだけの事でも想像できる。

そもそも「殿さま」といっても、あまりいい商売じゃなかった。 
例を紹介すると。

広島の近代的な城は「毛利輝元」が自腹で設計・施工した。 
新築・入場後わずか9年で毛利氏は長門の萩にうつされ、代わって広島城に福島正則が入った。
ほどなく福島氏も他に移され、浅野氏が入る。

城や土地・人民は殿さまが自由に使えるけども、行政・人件費・防衛費・土木費などで差し引かれ、いくら殿さまでも贅沢はできなかった。

城や土地をうまく運営しなければ、容赦なく 左遷(国替え)や降格が待っていた。

ちなみに 前のブログで書いた「犬山城」の個人所有の件で市?と争っていると書いたが、司馬遼太郎の「この国のかたち」では・・・・

全国の城々は明治4年の廃藩置県によって一斉に国家に無償召し上げされた。  とある。

個人が裁判を起こしても「犬山城」の所有権はやはり国にあるだろう。

by wagayanao | 2011-01-13 20:37


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