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我が家のパート5

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2013年 01月 30日

大学 と 塾

1月30日  (水)

司馬遼太郎の「花神」を読みなおしているが、結構 面白い。 冒頭の言葉が「適塾」で始まっている。

幕末 緒方洪庵の私塾で、今の大阪大学の前身だそうだ。 当時の日本の識字率は80%。イギリスなどの先進国では20%程っていうから、日本も捨てたもんじゃなかった。 
室町時代頃より、全国各地に寺小屋があり、地域の名士?が子供達に 無償で教えていた。

だんだんと高度の教養を身につけさせるような学校が出来て行った。 スポーツ系・宗教系・医学系・外国語系と専門学校のような学校に進化していく。

幕末でスポーツ系の一番人気のあったのは、剣術の千葉周作の道場。 それぞれの専門学校での成績が優秀であれば、各藩から高給優遇された。

緒方洪庵の「適塾」はオランダ医学を教える塾だが、オランダ語は教えるが、医学はほとんど教えず独学だったようです。

適塾を大学にみたてれば、

入学金 
師匠(校長)へ金200疋(びき)。 夫人(寮母さん)へ白扇3本と金2朱。

塾頭(助教授)に金2朱。

塾員一同(先輩生徒達)に同じく金2朱。

まかないをしてくれる女中(大学の事務員)たちにも銅200文を払う。

試験と進級

学力によって8学級にわけ、そのクラスごとに生徒同士が試験問題をだす。
最初に問題を出す人はくじ引きで決めるが、その人を首席と呼ぶ。 〇〇大学を首席で卒業したなんて言葉はここからきたんでしょうか?

問題が正解なら「白点」がつき 1ヶ月の白点の多い者が上級の学級に進級できる仕組みだそうだ。
で、問題を出す方も生徒だから 当然 1ヶ月もすればほぼ全員学力は上がる。

アメとムチ

生徒達は30畳の部屋に30人が生活居住空間 兼 教室 兼 勉強部屋。

試験は月に6回あるから 遊んでるヒマはないようだ。 試験の前日はほとんど徹夜状態だし、夏の暑い夜なんか たいへんだったそうだ。 フンドシ1枚で勉強し なおも暑く汗がでるから、フンドシをハチマキ代わりにするものもいるそうだ。

一人1畳のスペースだから 寝るにせよ 場所の悪い人は、小便にいく人に頭を踏みつけられたり オチオチと寝てられない。 上級になればなるほど、窓際の風通しのいい明るい場所の1畳が与えられる。

塾生の最高位である、「塾頭」になれば 給料ももらえる。

▼ 幕末・明治時代はそんな若者が切磋琢磨して学力をあげたから 、中国・韓国のように列強にグチャ・グチャされずに済んだ。 どの塾もその専門性だけで、卒業生?を縛ることはなかった。 宗教系を卒業すれば宗教家でなく軍事関係に。 竜馬のように千葉道場で北辰一刀流の免許皆伝をもらっても、剣術で身をたてようとはしなかった。

▼ 大学生の学力のピークは大学入学時だという。 卒業するときは すっかりとその学力を忘れる。
昨年 新設大学の認可でもめたが 大学の経営を考えて 需要(生徒)がすくなくなったんだから、供給(大学)の数を制限するという。 これは ただのお金だけの問題だ。

▼ 現在の大学生の総数を200万人とし、その卒業時も学力を仮に100点とすれば、これからは150点とか200点にあげる努力のほうが、強い日本への近道のように思える。 幕末・明治にかけて 薩長土肥以外に全国から優秀な人が現れたのは、激流の時代だったこともあるが、全国の塾・道場・藩校と世界に負けない教育機関があったからなのだろう。

▼ 日本の人口の半分しかない韓国にオリンピックでのメダル数が少ないのは、日本人全体のレベルが下がった ということか。

by wagayanao | 2013-01-30 21:44


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