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2013年 05月 16日

西郷と女

5月16日  (木)

大政奉還が終わったあとも、官軍は江戸の総攻撃をほぼ決めていた。(日時までも)

西郷隆盛と勝海舟の話し合いで、それが回避された。

大河ドラマ「篤姫」では、薩摩や公家に篤姫が手紙を出し なんとか江戸を火の海にしないでくれと頭を下げていた。

西郷隆盛も薩摩のリーダーではなく、この時期には官軍の総大将だ。 ほとんど自腹で故郷から江戸まで出征にきている兵隊をなだめて中止するには、それ相応の理由と大きな決断がいる。

いくら 篤姫が薩摩の出身で島津家とゆかりのある女性でも、土佐・長州・肥前には言い訳がたたない。

太田垣 蓮月」という尼僧が当時いた。

官軍の総大将西郷隆盛が京都をたち、東海道を下って江戸へ攻めのぼるとき、沿道には歴史が変わるその瞬間を見ようと、黒山の人だかりだったそうだ。

話がちょっとそれるが・・・・・沿道の人たちは当時流行った歌を唄って進軍を見送ったたという。

♪ 宮さん  宮さん お馬の前に ヒラヒラするのは何じゃいな~~  060.gif

♪ トコトンヤレ トコヤレナ 060.gif

♪ あれは 朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか~~  060.gif

♪ トコトンヤレ トコヤレナ~~  060.gif

で、この歌の作曲者は司馬遼太郎の「花神」の主人公 大村益次郎だったんですね。 知らんかった。

で、 話をもどすと、

見物人の中から 一人のみすぼらしい尼さんが制止を振り切って、進軍中の西郷隆盛に手紙を差し出した。

西郷が開いてみると一首の歌が書いていた。

討つ人も 討たれる人も 諸共に

すめら御国の御民なりけり

                                          蓮月

西郷は面識はなかったようだが名前はしっていたそうだ。  

歌は

時代の転換期を迎えて、今永く続いた徳川幕府が倒れようとしているけれど、討たれる徳川もそれを討つ官軍方も、もとをただせば同じ日本人ではありませんか。 西郷さん、どうか そのことを忘れないでほしい。

という願いを込めた歌だったんです。

太田垣 蓮月を紹介します。 

幕末に京都で生まれ 生後10日ほどで知恩院の太田垣家の養女となる。

結婚し、子供をもうけるも死別し すぐに亭主とも死別。

再婚し、またも子供を設けるが、これまた亭主ととも死別。 そのあと仏門に入り尼僧となるが、養父の死を境に生まれ育った知恩院を去り、京都市中を転々とする。

その頃詠んだ歌?でしょう。

宿貸さぬ 人のつらさを情にて  

  おぼろ月夜の花下ぶし

一夜の宿を頼んだところ断られた。 その時はつらい思いをしたけれど かえっておぼろ月夜に咲く美しい花を見ることができた。・・・・という喜びの歌です。

蓮月は知恩院を去り、和歌や陶芸により生計をたてていたそうだ。 美人で尼僧になっても言い寄る男が絶えなく、彼女は自ら釘抜きで歯を抜き 男の目をそらしたそうだ。

▲ 篤姫といい、蓮月といい、西郷隆盛は美女010.gifに心をグサっと刺されたような感じで、

江戸総攻撃は中止じゃーといわざるを得なかった? 
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by wagayanao | 2013-05-16 21:03


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