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2013年 06月 19日

下痢の歴史

6月19日  (水)

下痢っていうか「ウンコったれ」の歴史は悲惨だ。

徳川家康・石田光成は有名です。

徳川家康は武田信玄との三方が原の戦いで負けると、逃げ帰る馬上で「ウンコったれ」。 とにかく馬から降りて「ウンコ」をしてる余裕などない。
体調が万全ならそれは我慢できるはず。 急性の下痢と考えるのが妥当なようです。

石田光成は天下分け目の関ヶ原の戦いの最中に下痢に襲われる。 作戦会議のたびに、お腹を押さえてたんじゃ 寄り合い世帯の西軍もまとまるはずはない。

最初は優勢だった西軍も下痢の進行とともに負け戦。 光成は山中を逃げまわる苦労より、ビー・ビーのほうが切なかったに違いない。

打ち首の時(下痢は治っていた) 敵方から最期の「柿」を差し出されたが、お腹に悪いからと断ったそうだ。
下痢にコリゴリだったんですね。

両者の下痢の原因は緊張した場面になると なりやすい体質のようだ。現代でもこういった体質はかなりいます。(オレもその一人)

下痢には正露丸が一番良薬なんです。 日露戦争では海軍は圧勝だったが陸軍はかろうじて勝利した。

寒い大地で両軍は腹這いになりながら、鉄砲を撃ちあう。 当時の鉄砲の性能は両軍とも同じ。
勝敗を左右したのは、長時間寒い土の上で、腹這いだとお腹が冷えて下痢になりやすい。
当時の日本陸軍は「征露丸」を常備し、服用していたため ロシアより有利に戦えたことが 勝利に貢献した。

太平洋戦争中でも日本軍の捕虜の2割くらいは「失禁」・「脱糞」状態だったそうだ。

お腹の調子が生死を分けるんですね~~。

▼ 幕末・明治初期に川路という二人の人物がいました。

一人は川路聖謨という人で江戸城開城の日に切腹した人です。
前のブログ【奈良のオナラ奉行】に書いたんですが、この人は下痢・便秘には全然 縁のない人だが腸の調子がやたら良い。
屁で曲をかなでることもできたようだが、戒めの言葉を残してました。

戯れに 放屁など いたすべからず・・・・と。

一人は明治初期に行政視察でフランスへ行った川路利良(としよし)です。

マルセーユからパリまで列車でいったがパリに近づくにつれ 冷え込んできた。 もっとも地理的にパリの緯度は樺太南部に相当するから時期によっては寒いはずだ。

便意を催し我慢するもレールの継ぎ目でガっタン・ゴットンでは限界がある。

そこで新聞紙を下に敷き、毛布をかぶって「ウンコ」をし、ふかしたてのマンジュウをつつむようにして新聞紙をまるめて 速効で窓の外へほうり投げたという。

ここまでは、めでたし。 めでたし。の話だが、 ここから国際問題になってしまった。

パリにつくと 翌日列車から「ウンコ」を投げた者がいて線路夫に命中したと新聞に報道された。

で、ウンコを包んだ新聞は日本から持っていった新聞だったので、すぐに警察にばれたそうだ。

で、彼の役目はフランスの警察(司法)制度を日本に輸入しようと、仲間数人と先発組として出かけて行った。

ちなみに、川路利良は西郷隆盛に可愛がられていたが、直属の上司は江藤新平で後発でフランスへ行く予定だったが「佐賀の乱」で江藤新平を死刑宣告に言い渡したのは 川路と一緒にフランスへいった河野敏鎌だった。

司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」からでした。

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by wagayanao | 2013-06-19 20:46


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