我が家のパート5

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2014年 04月 10日

7名字

4月10日 (木)

タイトルの名字シリーズも7回になるとは思わんかった。  

当方の名字のルーツ(起源)をネットで調べてみたら、平安京をつくった桓武天皇の子孫で、常陸国(茨城県)
那珂郡相田がルーツだそうだ。 

まッ それは、由緒ある(あった?)家系の子孫という自己満足以外の何物でもない。 実際は百姓の小作人っていえば聞こえがいいが、水飲み百姓が現実だろう。
我が家系に限らず、他の家系も似たり寄ったり。・・・・・・・・かな?

苗字を名乗り始めたのは、桓武天皇・嵯峨天皇の時代(平安時代)から。 性欲盛んな両天皇は子作りに励んだため、5・60人も子供がいた。 当然 下位の子供になればなるほど皇位継承の可能性がなくなり、子供同士の争いが絶えなくなってきた。
苦肉の策で皇位継承の無くなりそうな子供から名字(源氏・平氏)の名字を与えていき、その後江戸時代になると、名字帯刀が許されるようになったが、それは武士だけの優遇策。

江戸時代でも苗字を名乗っている百姓もいたが、公の場では使うことができなかった。(過去帳・墓碑は許されていた)

平安・江戸時代で苗字をもらえるのは、天皇の周囲の人や、地方の豪族は天皇から授かる。

地方の藩の武士であれば、その藩の殿様から授かるので、苗字を授かることで、子々孫々まで、不祥事がなければ、オマンマは喰っていけた。 
 それだけ 苗字は一種のステータスを持っていた。

▼ ところで、そのステータスを持つ苗字を持っていない人が天皇。 

明治天皇・大正天皇・昭和天皇もちゃんと苗字らしきものがついているが、それは死んでから。

現役の天皇は誰でも今上天皇と同じ名前で呼ばれる。 今の今上天皇も死後は平成天皇と呼ばれるが、個人的には桓武天皇の次の平城天皇と漢字が似ているので、いい気はしない。

今の天皇の奥様である美智子様は陰で亭主(天皇)を支えている「おしとやかで、清楚」なイメージだ。

平城天皇の奥様といえば、旦那と5人の子持ちながら離婚もせづに、平城天皇の妃となった天下一品の悪女。・・・・・・と、いう理由。

▼ 話はチト変わるが先日、皇居乾通りの一般公開された。4日間で385060人が見に来てくれたそうだ。 これはすごい数です。東京駅から皇居まで順番待ちの列ができたそうだ。

皇居の桜を見るのでなく、その桜を見る人を見るためが目的だったようだが・・・・・・・

義姉は公開の前日、乾通りに招待されました。 もちろん人混もなく、東京のど真ん中の自然を堪能できたと喜んでいました。

証拠書類 ↓
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義姉は「皇居勤労奉仕」にいった縁で、一般公開前日に招待されたそうです。 ↑のパンフレットには右上に写っている、二重橋の図柄のスタンプに 26・4・3と平成26年4月3日を示す刻印が打ってあり何よりの証拠。
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by wagayanao | 2014-04-10 21:34


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