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2014年 09月 01日

ミニ 三国志

9月1日  (月)

三国志ファンの当方は、鎌倉幕府滅亡から室町幕府までが、三国志に似ているようでならない。 これも 三国志ファンならではの勝手な思い込みかもしれない。

三国志は「ソウソウ 」・ 「リュウビ」 ・ 「ソンケン」の国盗り物語だが、スケールが大きい。

3人の中で、 「ソウソウ」が一番勢力が強い。次いで、 「ソンケン」 ・ 「リュウビ」の順。

ソウソウ・ソンケン・リュウビ がタッグを組んで、極悪最強軍団 トウタク・リョフを滅ぼし、次いで頭角を表したエン兄弟は、兄のエンショウが勝ち、そのエンショウリュウビの部下カンウを助っ人に戦ったソウソウが勝ち、ソウソウに対抗するため、ソンケン・リュウビ連合軍が赤壁の戦いで勝ち、リュウビはベトナム?カンボジア?方面の領土と兵士を手に入れ、勢力拡大すると、ソウソウ・ソンケンがタッグを組み、リュービをやっつけにかかる。

で、結局 三者存命のうちは勝ったり、負けたりの繰り返し ってストーリー。

△ 日本版三国志は?っていうと、ソウソウは足利尊氏。  ソンケンは楠木正成。  リュウビは新田義貞ってとこでしょう。 

最初の強敵は北条鎌倉幕府。 この北条氏はなかなか曲者で、天皇の言うことは聞かない。 天皇の側近の日野君を死刑にしたり、後醍醐天皇を島流しにしたりする暴れ者。

その暴れ者に立ち向かったのが、足利・楠・新田連合軍。

足利は京都の幕府軍(六波羅探題)と対峙し、楠木は後醍醐天皇を救出や京都・鎌倉間を押さえ、新田は鎌倉を直接攻めた。

六波羅探題は今でいう、アメリカの中央情報局。CIAだ。 ここも最新兵器(ヤリ・弓)を備えている。鎌倉は大本営で、軍備も日本一。

で、連合軍は作戦通りに3か所同時多発テロを見事に成功した。・・・・・・・・が

こんどは、後醍醐天皇が足利が気に入らない。 楠木・新田に足利をどうにかせィ・・・・・と命令。

楠木・新田軍は勝つには勝ったが、総大将の足利尊氏は九州まで逃げおおせた。

この辺は「赤壁の戦い」のように、局地戦では大勝だが、敵の総大将(ソウソウ)までの首をとることまで出来なかったように、足利尊氏は、奪っていた「三種の神器」を使い、新天皇を擁立し、見事カムバック。
楠も新田も討ち死にで万事休す。 

この間 わずか半年あまりの出来事。 やっぱり日本はスケールが小さい。・・・・・・・・・小さい分日本には美談を残すのがいいところ。

足利は「湊川の戦い」で、楠木正成の首を打ちとったが、さらし首などしないで、丁重に楠家に送ったという。

息子の正行(まさつら)は自害しようとしたが、母にたしなめられ、再度 足利に再挑戦。

結局、多勢に無勢の戦で討ち死に。 親子共立派な死に際だったそうだ。

足利尊氏の嫡男(長男)である足利義栓(あしかがよしあきら)は、自分の墓のとなりに、正行(まさつら)の墓を建ててくれと遺言したそうだ。

その墓を見てきました。 足利と楠の家紋が並び、墓の大きさも一緒でした。

敵同士の墓が一緒というのは、たぶんこの京都 宝筐院(ほうきょういん)だけでしょう。

宝筐院のスナップ写真です。 ↓

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ちなみに 大楠公は楠木正成。 小楠公は楠木正行。 ここ宝筐院は紅葉がきれいだそうだ。 あまり有名な寺院でないので、京都の穴場だという。
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by wagayanao | 2014-09-01 21:31


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