我が家のパート5

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2015年 01月 12日

新潟県三条市の不名誉

1月12日  (月)

「故郷の偉人」といえば、大方 県単位だろう。 新潟県でいえば・・・・

戦国時代は、上杉謙信 ・ 直江兼継 。 

幕末は、河合継之助 。 太平洋戦争では、山本五十六。 戦後 高度成長期にはジャイアント馬場。

新潟県は全国に誇れる「偉人」は日本の歴史でたったの↑の5人。 謙信・兼継は大河ドラマの主人公だけに、新潟県人は誇りに思ってもいいだろう。 ↓

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だが、謙信も兼継も越後・福島限定の偉人だ。河合継之助もしかり。山本五十六は敵国アメリカも警戒した世界的な人物だが、肩書は帝国海軍の『大将』でしかない。それに真珠湾奇襲攻撃の成功だけで、東郷平八郎大将のように正々堂々の戦ではなかった。

戦後の日本のトップを「力道山」から変わった「ジャイアント・馬場」は、永年マット界を君臨したけど、偉人と思ってくれる人は県内では少ない。
せいぜい三条市民だけだろう。

△ 「天と地と」を読んで、地元三条に後世の「偉人」と尊敬さる要素・資格・家柄を持つ者がいた。

長尾俊景である。 戦国時代の越後は長尾家のほか各地で豪族がいた。長尾家では春日山城の長尾為景。
三条城は長尾俊景が城主で、何代か前の祖先は、同じ。

チョット前の時代では、祖先は同じで子孫の本家筋が新田義貞。分家筋が足利尊氏で、足利氏は逆賊・朝敵と汚名ははなただしいが、今の時代でも「足利市」 ・ 「足利銀行」とちゃんと立派に名を残している。

三条城主の俊景も尊氏同様に、ふるまえばいいものを、目先の欲だけで行動し、後世の三条市民(オレの事)にヒンシュクを買っている。

その様は・・・・・・

本家筋の為景が越後統一の戦いで、俊景に援軍を乞い、出陣したはいいが、敵勢が多いと、逆に為景に援軍を乞うしまつ。

あげく 春日山城に反旗をひるがえし、まだ子供の景虎(のちの新潟県ヒーロー謙信)を責め立てた。

△ 三条地域の言い伝えで、三条モンには耳は痛いだろうが、

三条モン ダレ  ・  三条モンには気ィーツケレ― って言葉がある。

三条の人は口は達者だが、裏切りだの 情けなんか ネースケ 気をつけなさい って意味で使っている。

この語源は三条は金物屋が多く商売上手からもあるようだが、戦国時代の地元の悪役 「長尾俊景」が起源でなかろうかと思う。
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by wagayanao | 2015-01-12 21:35


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