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我が家のパート5

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2015年 06月 09日

野蛮人

6月9日  (火)

仕事は暇なのに、私的な事で忙しい。 毎日 グッタリ・・・・・って感じ。 そんな訳でブログも休みがち。

おとといの日曜日に老体にムチ打って、次男のアパートにエアコン取り付けに、それも群馬県前橋まで、いってきました。 朝の5時半出発の強行軍。 

まッ午前中に取り付けは終わり、次男夫婦とちょっと群馬観光しようと思ったが、なんだかつれない返事。

群馬県庁に『花燃ゆ展』をやってるから、行ってみれば・・・・・026.gif。と しかたなく女房と二人で行ってきました。 もちろん その後は新潟へ帰るだけ。

群馬県と『花燃ゆ』はなんの関連もないようだが、ヒロインの文さんの旦那である小田村伊之助が初代群馬県知知事だったんですね。

ちなみに小田村伊之助は松陰の娘の寿(ひさ)を嫁にもらったが、死別したので、妹の文さんと再婚したそうだ。 小田村伊之助は藩命で「楫取基彦」(かとりもとひこ)と名前を改めた。

小田村伊之助の県知事時代の知事室が再現されていました。 ↓

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奥の机は知事の秘書として、ヒロインの文さんが使っていた机だそうです。

歴史好きの当方は、こんな催し『花燃ゆ』展は大歓迎。 無料パンフレットをいくつかもらってきました。 ↓

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廃藩置県が終わり、初の群馬県知事として小田村伊之助は群馬県の県民性に難儀したそうだ。

パンフレットにも少し載っているが、「気性が荒く反骨的な県民性」とある。 そもそも、群馬県は古くは『上毛野国』と呼ばれ、大和朝廷の勢力外で毛の生えた野蛮人の住む地域と認識されていた。 南の千葉県は下毛野国とおおざっぱに区分していた。

大和朝廷の勢力下に入ると「毛野」が外され、上野国・下野国と呼ばれるようになる。 上野国は新田義貞・足利尊氏など当時NO1の武将はいたが、上杉謙信・武田信玄・今川・北条に攻められ、豪族も反骨的ならざるを得ない。

じゃー 京都近辺は穏やかな県民性かというと そうでもない。 紀州という地区がある。 今なら和歌山県と三重県南部をさすが、戦国時代は石山本願寺側につき、さんざんに織田信長をてこずらせた。 といってもどれ程の武将がいるわけでもないが、紀州には地侍同盟というのがあり、族長たちちが、そのつど指揮能力のある者を選び大将にした。  

紀州は家格なし と言われたように たがいに同格意識が高く、上下関係が発達しなかった。 このため紀州人は敬語を使う必要はなかった。

日本の方言世界では「紀州方言」には敬語が存在しないのは、この地域だけであり、奇異な現象と思うが、その県民性を考えれば納得がいく。

ちなみに紀州は関ヶ原の戦い以降、浅野家が大名として入っている。 群馬県は松平家。 その後大名の移転はあるが、反骨心旺盛な群馬県代表と 敬語を使わない紀州代表浅野家の世間をぶったまげさせる、大事件を起こした。

忠臣蔵である。 吉良上野介と浅野内匠頭の大げんか。 吉良上野介(キラコウズケノスケ)は名字と県名?と役職を兼ねた名前である。

名字は吉良。 上野は群馬県・埼玉県・茨城県の一部を指す。 介(スケ)はその長である。 今風の呼び方に替えてみれば、 吉良群馬県知事ってことになるでしょう。

▲ 群馬県って「素通りする県」する県で、 有名なのは「からっ風」だけかと思いきや、結構見どころのある県のようだ。 こんど行く機会があったら、世界遺産の富岡製紙上にも行ってみよう。

by wagayanao | 2015-06-09 23:38


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