2011年 08月 10日
8月10日 (水) 気仙沼からの帰りに平泉をちょっと観光してきた。 加茂文化会館での愚安亭遊佐の一人芝居を見て、「蝦夷(エミシ)のアテルィ」のファンになった。 気仙沼の仮設住宅工事現場から宿の「しずか亭」までの道中に「達谷の窟」(たっこくのいわや)がある。 そこは、アテルィとの戦いに勝った坂上田村麻呂がここに征夷の記念として毘沙門堂を作ったそうだ。 勝てば官軍なのか、アテルィの事はクソミソに看板に書いてあった。 抜粋です。 約1200年の昔、悪路王(アテルィ)・赤頭・高丸等の蝦夷がこの窟に賽を構え、良民を苦しめ女子どもを掠める等乱暴な振る舞いが多く、国府もこれを抑えることができなくなった。 ・・・・・・以下略 そして征夷代将軍の坂上田村麻呂がそれを退治したと ありがたげに説明してある。 タリバンがバーミヤンの遺跡を爆破したように、アテルィの子孫がいたなら、この顔面大仏は攻撃の的になるだろう。 (顔面大仏は明治の地震で胸から下は崩落。) アテルィは別に東北から関東・京都まで侵略した訳ではない。 侵略したのは大和朝廷の方である。 アテルィは捕まり京都?の河原で首を切られた。 「首がとんでも動いてみせるは」とは、歌舞伎の『東海道四谷怪談』での台詞だが、アテルィがモデルのようである。 日本文理 負けた。 序盤は優勝候補と五分に戦っただけに、少し残念。 終盤まで互角だったら、新潟勢の実力は全国レベルに育ったということか
by wagayanao
| 2011-08-10 20:07
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