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我が家のパート5

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2013年 12月 05日

八門金鎖の陣

12月5日  (木)

世界史も日本史も戦争の歴史である。

部落・民族・国家がよりよい生活をもとめての戦いだ。 すべては男の戦いであった。 例外があるとすれば、架空の「アマゾネス」ぐらいのもの。

で、雌雄を決する陣形を考えてみた。 ↓
八門金鎖の陣_b0193252_21134638.jpg


日本で有名なものは、『魚鱗の陣』 ・ 『鶴翼の陣』だろう。

『魚鱗の陣』はピラミッド型の陣形で底辺は厚く、中央に大将が陣取り攻守ともに優れている。 先頭には大将もしくは勇猛な武将を配置すれば、より強力な陣形。

『鶴翼の陣』はV字型の陣形。 先端が広がっており、敵が攻めて中へ入った時は、先端を閉じ袋だたきで、一気に相手を絶滅させる すさまじい戦法。

関ヶ原の戦いで、魚鱗の陣を徳川家康。 西軍の毛利を大将とする石田光成は鶴翼の陣。

形成は5分・5分だったが翼の一部である小早川秀秋があろうことか、味方を攻撃してしまい、西軍は万事きゅうす。

『鋒矢の陣』って聞いたことがないだろうが、先頭はちょっと厚めにし、以下縦一列の陣形。

これも関ヶ原の戦いで使っている。 西軍の負けが濃厚になった時、薩摩の島津はこの「鋒矢の陣」で敵中央突破。
寝返った小早川の陣も破り 家康本陣をかすめながら見事退却に成功。

↑の図で『八門金鎖の陣』っていうのもある。 これは攻撃にも守備にも使える陣形。

中国“三国志”では曹操の子供の曹仁が使った。 あいては劉備軍。 劉備軍の軍師は孔明の前任者の徐庶。

徐庶はその陣形を見破り、趙雲とともに見事に破った。 その後も何度かこの陣形が登場している。 孔明もこの陣形で戦ったことも有名。

【八門金鎖の陣】は中央に本部(大将)。そこを中心に八方に道hが放射上に作り上げ、敵は外周部から本部が丸見えになる。

八つの道には「門」の名前があり、その門で勝敗の行くえが決まってくる。

生門・開門・景門から攻めいれば、攻める側の勝利。

傷門・休門・驚門から攻めいれば、攻める側は負け戦。

杜門・死門から攻めいれば、二度と生きて帰れない。

映画「レッド・クリフ」でこの陣形の戦いシーンがあったが、設定はでたらめだった。 映画の製作は中国だが、金のためなら こんな所もなんでもアリの様。 もう少し、歴史に忠実になってもらいたい。

似たような陣形を上杉謙信も使っている。 『車がかり』という円形の陣形で、回転しながら敵の弱い所・弱い所を衝いて攻撃する。

で、ここから本題です。 当方のブログは歴史を通して現代を考えるブログ。

八門金鎖の陣】は競馬で使えそうだ。

敵の騎馬がどの門を通ろうが、中央にたどり着くまではには、かなりの騎馬は消滅している。本陣までたどりつく騎馬は数頭だ。

その数頭も決して強い馬とは言い切れない。 戦の展開と“運”次第のないものでもない。

で、あるなら・・・・・・

18頭だて・16頭だてであっても中央にたどり着く馬は4頭ぐらいのもの。

4頭がわかれば、3連単のような万馬券。10万馬券。100万馬券も的中するのは簡単。


さて これから 有馬記念に向って、『八門金鎖の陣』を破って侵入してくる馬を考えることにしよう。

by wagayanao | 2013-12-05 22:14


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