2014年 04月 21日
4月21日 (月) タイトルの『ミステリー その一』・・・としたのは、1回の投稿では終わりそうもないので、『・・・・・・ その一』としました。 結論から申しますと西暦1200年程前の「謎かけ」が2000年に解明されたという、途方もない歳月のミステリーなんです。 事の初めは、当方のもらったお菓子から。 ↓ 「小倉山荘」という会社のせんべい菓子。 二男の嫁さんが京都という縁で頂いた菓子です。 京都風に和紙で包み、それだけで新潟の「亀田のあられ」とは気分的に比較にならず、高級感が漂うせんべいです。 もう とおの昔に胃の中に入ったが、女房は空き缶とパンフレットを大切に保管していた。 ねぇー・ねぇーお父さん。 このお菓子に『小倉百人一首』がかいているよ! という。 ▼ 小倉百人一首は藤原定家(ていか)何千の和歌から一人一首を選び「カルタ」にしたもの。 だが、 有名な歌人・すぐれた和歌だけを厳選はしていなかった。 藤原定家も自ら、 有名な歌人・すぐれた歌をたくさん漏らしている。用捨(ようしゃ)は私の心にある。 と、謎めいた言葉を残していました。 それを解明したのは、百人一首研究家?の林直道大阪経済法科大学教授でした。 ▼ 時代背景は鎌倉時代。 藤原定家は時の人『後鳥羽上皇』の恩人であったが、後鳥羽上皇は鎌倉幕府打倒の陰謀がばれ、隠岐へ島流しに。 以前に定家が和歌の会で【水無瀬離宮の里】へ後鳥羽上皇を招いたことがあった。 【水無瀬離宮】は大阪府と京都府の堺にある町で、当時は山紫水明のきれいな町と里であった。 定家は上皇を忍び、その【水無瀬離宮の里】の山紫水明な絵にあうように、百人一首を吟味したという。 定家の言葉の用捨は私の心にある。という謎かけは、 用捨とは採用するかしないかの事であり、それは自分の心にしまっておきます。 ということ。 ▼ 幕府転覆を企てた人と今でも懇意?にしてます。 と公然できない身分(中納言)であり、対外的にも後鳥羽上皇を批判もしていた中で、小倉山荘に籠って後鳥羽上皇を忍びながら、「和歌百選」(小倉百人一首)を、選んだ理由など公言せずに、推測してくださいという事だったんですね。 ▼ ↑のことが先日京都旅行に行く前にわかっていれば、藤原定家記念館に寄っただろうに残念。 嵐山公園に周恩来の石碑を見てきたが、その後ろの近代的な建物だった。 時間もあったのに。 ▼ それにしても、およそ800年前の「謎かけ」に答えた林直道先生の頭の構造はどうなってんでしょうか? (推理小説家の頭の構造も感心するけども)
by wagayanao
| 2014-04-21 21:23
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