我が家のパート5

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2014年 07月 11日

通い夫 と ハーレム

7月11日  (金)

“所変われば品変わる”って言葉があります。 で 、今日は一夫多妻についてです。

世の男性は『一夫多妻』はアコガレな生活。 それを合法としている国も結構あるが、日本は最近になって違法扱い。

知ってる限りの実例として、アラブの王様はハーレムをつくっていた。 一つの宮殿の中にエリスグッタ美女を何十人と同居させ、毎晩 053.gifに励んでいた。

これには弊害が多い。 美女軍団を一緒の空間に同居ってことは、ライバル意識がモロにでて、王様も053.gifどころか仲裁024.gifのほうが忙しくなってくる。

それを改善したのが中国の皇帝。 紫禁城のような広大な宮殿のなかに、ピチピチギャルを寝室とリビングだけの家を一軒ずつ作ってやり、それも100軒以上も。 皇帝は毎晩 その家に通うがどの家にどの女がいるかは覚えてもいない。 そして牛車に乗っていくわけだから、1軒・1軒ノックし女を確認しながらというのも面倒だ。
ノメシコキの皇帝は牛が止まった家にする習慣になった。 結局 皇帝もどの女も一緒だと考えたのだろう。

女も考えた。 皇帝に気に入られるより、牛に気に入られたほうが手っとり早い。

牛の好きな塩を玄関先に山盛りにして、ただ牛が止まって皇帝が入ってくるのを待つだけ。 この策は的中だったそうだ。

そんな風習が平安時代に日本に伝わり、現在でも残っている。 スナックやバーの入り口に皿の上に塩を盛り、世の男性を呼び込もうという「おまじない」だ。

▼ アラブの王様も中国の皇帝も財力で、【女】を囲う手法だ。 我が日本はというと・・・・・・
なんと、で、【女】を囲う健全な男女関係だった。

そこには日本の歴史が関係していたのだ。

ここんとこのブログでも書いたが、日本を作った(実質の)オオクニヌシの神様のヒー・ヒー・ヒーお婆ちゃんである天照大神(あまてらすおおみかみ)が絶大な権力を持ち、男神のオオクニヌシどころかヤマタのオロチを退治したスサノヲノミコトも頭が上がらない。
国会や東京都議会は女性蔑視の風潮があるが、日本は古代から女性には頭が上がらなかった歴史がズーーとあったのだ。

オオクニヌシも島根県から新潟県糸魚川市のヌナカワ姫の元へ通い夫をしたのは、1週間程前のブログで書いたとおり。

時代は下って、

邪馬台国の卑弥呼も女性で「アマゾネス」のような母系社会をつくり、男はせっせと女(卑弥呼)のもとへ通い働いた。 かも?残念ながら証拠物件なし


さらに時代は下って、

平安時代初期に証拠物件?が残っている。

伊勢物語だ。 第23段の「筒井筒」に詳しく?かいてるそうだ。 以下あらすじです。 ↓

幼馴染の男女が大人になり、やがて愛が深まり結ばれていく。当時は夫が妻の所に通う「通い婚」で、妻が夫の面倒をみていた。
妻の親が亡くなり妻は困窮していき、やがて夫は別の女の所へ通うようになるが、妻は嫉妬する素ぶりも夫に見せなかったそうだ。

夫は妻が別の男がいると思い、隠れて様子をうかがってみると、妻は薄化粧をして夫の身を案じる歌を詠んでいたそうだ。

それ以降 夫は別の女の所へ通うことは遠慮したそうだ。

その「通い夫」制度を多いに利用したのが藤原家。

平安時代後期は藤原時代ともいわれ、天皇が変わっても実験を握り続けた。全部でないけど天皇は藤原家の娘の所へ「通い夫」。 当然 子供ができ、その子供も男であれば、皇位継承権は上位になった。

ちなみに藤原家の元祖は中臣鎌足。(なかとみのかまたり)  大化の改新で天皇から藤原姓を与えられ、子の藤原不比等(ふびと)の代で「南家」・「北家」・「式家」・「京家」と4家を創出し、 その家から天皇の妃・2号・3号とメカケを送り込んだ。

天皇の皇位継承争いが盛んな時代でも、どの皇子が天皇になっても、妃は藤原家。 その4家は現在でも健在だそうだ。


あぁ~通い夫制度復活してくんないかなぁ~~。012.gif

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by wagayanao | 2014-07-11 22:16


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