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2014年 08月 30日

ひな形 その二

8月30日  (土)

明治新政府が樹立され、急いで作った大日本帝国憲法(明治憲法)。 ポツダム宣言を受け、大日本帝国憲法の弊害をなくそうと作った現在の日本国憲法。

その日本国憲法も出来た当初も現在も平和憲法として、世界中から「うらやましがられて」いる。

GHQによる「押しつけ憲法」といわれ、安倍総理までも戦争が出来る国へと、変えようとしている。

「押しつけ憲法」が戦勝国に有利な憲法なら、それもわかるが そうでもない。

新憲法を草案したメンバーは、わずか20人足らず(民政局)で9日間で作り上げたという。 ↓

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GHQと並行し、日本側も新憲法の草案を政府と民間人の二通り作っていたそうだが、どちらも「大日本帝国憲法」の修正程度だったという。

結局、GHQ草案の憲法を多少修正したのが現憲法。

「あとがき」に草案を作ったメンバーが語っている。 ↓

日本が他の国に先がけて『理想』のゴール(日本国憲法)に達したという感じがします。
・・・・・・オズボーン・ハウギ(当時 立法権担当)

それは、広く世界中の人々が抱いた理想でした。その意味で、理想的な国の理想的な憲法と言えるでしょう。
・・・・・・セオドア・マクネり―(日本国憲法研究者)

新憲法は、醜い戦争から生まれた『美しい真珠』 だといった人がいます。 これは日本国憲法を言い表す最高の言葉だと思いますね。
・・・・・・リチャード・フィン(当時 極東委員会)

筆者の意見なのか こんな意見もある。 ↓

平和憲法がなかったら、戦後日本の歴史はかなり違った道を歩んだ恐れもあった。実際、経済力を持つにつれ増大した日本の傲慢(ごうまん)さに対して、何が「抑止力」として働いてきたかを冷静に振り返ってみれば、それは容易に理解できるだろう。

3・11の大災害で略奪もおきない。電車の動くのを整然とホームの階段で座って待ち続ける。そんな日本人を世界が称賛したが、その行動は、平和憲法で戦争にいく心配はないってことも関係があるように思える。

△アメリカは日本占領後の民政を真珠湾攻撃から1年後(1942年5月)に、その人材(民政員)を養成した。

その一人に『ドナルド・キ―ン教授』を選んでいる。

ドナルド・キ―ン教授は1922年生まれだから20歳の時。 彼は3・11東日本大震災を契機に日本国籍を取得し、『鬼怒鳴門』と改名し、日本のいく末を案じているそうだ。
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by wagayanao | 2014-08-30 23:19


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