2014年 11月 20日
11月20日 (木) 今日、ひょんな事から「立ちション」の話になった。 新潟東港近辺は、工業団地になっているが、広大な空き地・畑も多い。その地区は「太郎台」と呼ばれ、ロシア人・カナダ人など外国人が多く出没する?危険地帯。 その地区で空き地に「立ちション」は厳禁だという。 なんせロシア人?などの子供がピストルを撃つ練習をしているとか? で、今日のブログは品のかけらもない「立ちション」です。 今でこそ、「立ちション」は下品で原始人的な行為と思う人が多くなってるが、ひと昔前は畑どころか、男どころか、道路脇で「立ちション」をするオババも多かった。 当方もその光景は何度も見た事があるが、行為そのものは、至って早く、モンペをサット下げると同時に前かがみになり、と間髪いれずにシャ―。 用をたせばさっとモンペをあげ 何事もなかったように平然としている。 もちろんニヤニヤと覗いてる人は誰もいない。 立ちションが下品になる歴史を考えてみた。 △ 立ちション規制は、大日本帝国憲法成立前後で、立ちションごときに法の整備は早かった。 というのも、明治初期は文明開化と欧米並みが流行り、フランス・イギリスのマダム・レディーが日本男児の「立ちション」をみるたびに、オッー・ノォーと叫んだそうだ。 それで憲法と同じに「立ちション」規制をした。 さすがにその規制も憲法でなく東京都条例としてである。 取り締まる側は当然警察。 警察も立ちション規制と同時期に出来たが、初代警視庁長官は何回かこのブログで書いた、薩摩藩出身の『川路利良』。 彼はパリ駅到着寸前に列車のなかで「ウンチ」をし、湯気が立ってる状態のウンチを新聞紙に丸めて車窓から放り投げた有名な人物だった。 そのパリ旅行も西郷隆盛から推挙されたから、トントン拍子に出世できた。 「立ちション」規制ができ、その規制を破る常習犯は西郷隆盛。 西郷は金玉が大きくなる病気で、その頃は一つの玉の大きさは猫の頭ほどあったようだ。 そんな訳だから、チビチビとオシッコが出たのだろう。 ちなみに、西郷の金玉は西南戦争で負け、自害し身元がわからんように死体を部下が隠したが、金玉の大きさですぐにばれたそうだ。 そのころはバレーボール位に肥大化していたそうだ。 ところで、「立ちション」 ・ 「咥えタバコ」 ・ 「吸殻のポイ捨て」が堂々とできないなんて文明国ではない。
by wagayanao
| 2014-11-20 20:27
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